歌だけがわたしを輝かせる
 
アラン・ドロンとのデュエット曲などで一世を風靡したフランスの歌姫 愛に向かって生きたひとりの女性の物語

映画『ダリダ〜あまい囁き〜』ロゴ

5月19日(土) 角川シネマ有楽町、Bunkamuraル・シネマほか全国ロードショー
監督・脚本:リサ・アズエロス 主演:スヴェヴァ・アルヴィティ © 2017 BETHSABEE MUCHO – PATHE PRODUCTION – TF1 FILMS PRODUCTION- JOUROR CINEMA 2017年/フランス/127分/原題『DALIDA』/字幕翻訳:星加久実 配給:KADOKAWA
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INTRODUCTION

その美貌と歌声に、すべてのフランス女性が憧れ、
すべてのフランス男性が恋をした―

60年代フランス。ミス・エジプトに輝いた美貌とそのエキゾチックな歌声で、フランス全土に社会現象を起こし、一躍スターとなったダリダ。ゴールドディスクを受賞し、歌手としての成功を掴んだが、私生活では数々の恋愛に悩み、愛する人との幸せな家庭に憧れ続けていた―。出会いと別れに傷つきながらも、その経験を歌にして、ステージの上で輝き続けるダリダ。

愛に向かって生きた激しく、哀しく、美しい54年の生涯に、誰もが魅了される!

「あまい囁き」、「18歳の彼」など日本でもカバーされたヒット曲に秘められた切ない物語。

  

「パローレ、パローレ」のフレーズで日本でも大ヒットしたアラン・ドロンとのデュエット「あまい囁き」や、年下の恋人との恋愛を綴った「18歳の彼」、「べサメ・ムーチョ」など、自由奔放な恋愛が赤裸々に歌われている。

一方で、「わたしは病んでいるの」と、苦しい胸の内を歌った曲もある。ダリダの歌には喜びも悲しみもすべてがあり、人生とは何かをわたしたちに教えてくれる。流した涙を力に変えて前へと進む女性の生き方が、深い共感と感動を呼ぶだろう。

200人から選ばれた新たな才能と実力派俳優で贈る、数々のヒット曲と華麗なるファッション!

  

ダリダを演じるのは、モデル出身で映画初主演のイタリア人女優スヴェヴァ・アルヴィティ。監督が200人の女優と会った後のオーディションで、「灰色の途」を歌って見事に大役を射止めた。

弟のブルーノ役には、ブルーノ本人の強い希望で、『ジョン・ウィック:チャプター2』のリッカルド・スカマルチョが演じた。元夫のルシアンには、『エディット・ピアフ~愛の讃歌~』のジャン=ポール・ルーヴ。恋人のリシャールには、『アヴリルの恋』のニコラ・デュヴォシェル、ほか実力派俳優が脇を固める。

監督・脚本は、『LOL(ロル) ~愛のファンタジー~』のリサ・アズエロス。ダリダの眩いばかりの光と切ない影を描き切った。60年代~70年代の洗練されたファッションと、華やかなステージも必見!!

   
 

STORY

 

イタリア移民の家系でエジプト・カイロに生まれ育った少女ヨランダ(スヴェヴァ・アルヴィティ)。幼い頃は、眼鏡姿をいじめられ自分はブスだと思いこんでいたが、16歳で自分を苦しめていた眼鏡と決別する。
数年後、ヨランダは「ダリダ」として、ミス・エジプトの栄冠に輝いた美貌とエキゾチックな歌声で、フランス全土に社会現象を巻き起こし、スターの座に上りつめていた。ビジネスパートナーのルシアン(ジャン=ポール・ルーヴ)には妻がいたが、ふたりは愛し合いやがて結婚する。

ダリダには“夫と子供を持つ夢”があったが、ルシアンはダリダのキャリアを優先してしまうのだった。結婚からわずか1か月後、画家のジャン(ニールス・シュナイダー)と新たな恋におちる。不倫をしたダリダへの世間の風当たりは強かったが、弟のブルーノ(リッカルド・スカマルチョ)のサポートもあり、歌手として成功を収め、元夫のルシアンとも友人としての絆を取り戻していく。

新恋人のイタリア人歌手ルイジ・テンコ(アレッサンドロ・ボルギ)と過ごす音楽祭の夜、スターとしてステージに立つダリダの影で、一次審査で落選したルイジは絶望し、「人間は死に向かって生きる存在だ」という尊敬するハイデガーの言葉を実行してしまった―。絶望から立ち上がったダリダは、アラン・ドロンとのデュエット曲「あまい囁き」が大ヒットし、“ドロンとの熱愛発覚”と騒がれた時も、新恋人のリシャール(ニコラ・デュヴォシェル)に夢中だった。出会いと別れに傷つきながらも、その全てを歌にのせてステージで輝き続けるダリダ。しかし、再び悲しい別れが待っていた――

 
 

ABOUT THE DALIDA

1933~1945年 | 0~12歳 | 誕生~幼少期

1933年1月17日、エジプトのカイロに生まれ。本名ヨランダ・クリスティーナ・ジリオッティ。イタリア移民の家系で、父・ピエトロはバイオリン奏者。母・ジュゼッピーナ、兄・オーランド、弟・ブルーノの5人家族。幼い頃に目の手術を受け眼鏡をかけて過ごす。父はダリダが12歳の時に病死。

1949~1954年 | 16~21歳
ミス・オンディーヌ&ミス・エジプト

自分を苦しめていた眼鏡と決別。1952年、ミス・オンディーヌの美人コンテストと、ミス・エジプトコンテストの栄冠に輝く。9月、スクリーンデビューし「デリラ」という芸名になる。

1955年 | 22歳 | パリへ ~ “ダリダ”誕生

単身パリへ渡る。「ダリダ」と名乗り、生活のためにキャバレーで歌い始める。

1956年 | 23歳 | ルシアンとの出会い

1956年4月9日、オランピア劇場で行われた「明日のナンバーワン」という新人コンテストで、ヨーロッパ1ラジオ局の芸術監督ルシアンが、舞台に立ったダリダに一目で虜になる。

1956~1957年 | 23~24歳 | バンビーノ現象

1956年8月28日、「Madona」でデビュー。続いて「Le Torrent」を発表。さらにデビューから2か月後の10月28日、「バンビーノ」を発表。3週間で30万枚の大ヒットとなり、ゴールドディスクを受賞。今日までの総売上数は4,000万枚。

1961年 | 28歳 | 結婚

1961年4月18日、5年間関係が続いていたルシアンと結婚。しかし1ヶ月後、ポーランド人の画家ジャン・ソビエスキーと出会い恋に落ちる。ルシアンはラジオでダリダの曲を流すことを拒否し、復讐をした。

1961年 | 28歳 | 成功

1961年12月6日、オランピア劇場でのショーが大成功し、エディット・ピアフからは「私の次はあなたよ」と賛辞が贈られた。モンマルトルに6階建ての家を購入。生涯その家に住み続けた。

1966年 | 33歳 | ルイジとの出会い

1966年夏、イタリア人歌手のルイジ・テンコと出会う。同年9月に再会し恋人同士になるが、2人の関係は世間には秘密だった。

1967年 | 34歳 | 最初の悲劇

1967年1月27日、ルイジが、サンレモ音楽祭の一次審査で落選し、その後ホテルで拳銃自殺。2月26日、ダリダは睡眠薬で後追い自殺を図るが、5日間の昏睡状態の後、一命をとりとめる。

1967年 | 34歳 | 18歳の彼

1967年12月、12歳年下のイタリア人青年ルチオに出会う。ダリダは妊娠したが父親になるには若すぎると、ルチオに黙ったまま中絶。後に手術のせいで子供を産めない体になってしまったことを知り、生涯悔いた。1974年1月18日に発表された「18歳の彼」の歌詞の裏には、この秘密のラブストーリーがあった。

1970年 | 37歳 | 新たなスタート ~ 別れ

1970年7月1日、弟・ブルーノがプロデューサーとなり、インターナショナル・ショーという会社(のちのプロダクションズ・オーランド)を設立し新たなスタートを切る。同年9月11日、元夫のルシアンが拳銃自殺。愛する人の自殺が2人目となる辛い出来事だった。

1972年 | 39歳 | サンジェルマン伯爵

1972年10月21日、サンジェルマン伯爵の生まれ変わりで錬金術と名乗るリシャール・シャンフレーに出会い、情熱的な恋に落ちる。ある晩、リシャールが強盗と勘違いし家政婦の恋人を銃で撃ってしまうが、ダリダが保釈金を支払い、執行猶予付きの1年の実刑と罰金となり、ダリダの元に帰ってきた。

1973~1974年 | 40~41歳 | あまい囁き

1973年1月17日、ブルーノがイタリアから持ち帰ってきた「Parole, Parole(あまい囁き)」をアラン・ドロンとデュエットし全世界で大ヒット。1974年2月18日、「愛するジジ」を発表、12カ国のヒットチャートのトップになる。

1976~1979年 | 43~46歳 | ディスコ

昔の曲をディスコビートにアレンジしたアルバムを次々に発表。1979年6月15日、「Laissez-moi Danser」でプラチナを達成。46歳で、パレ・デ・スポールで18回にわたる大規模なショーを開催。4,000人の観客の前で連日舞台に立った。

1981~1983年 | 48~50歳 | 3度目の悲劇

1981年、破綻していたリシャールとの関係が終わりを迎えた。2年後の1983年7月20日、リシャールが自殺。ダリダはついに3人も愛する人を自殺で失ってしまった。

1986年 | 53歳 | 故郷カイロへの凱旋

 

1986年9月29日、故郷カイロで、ユーセフ・シャヒーン監督『The Sixth Day』のプレミアが開催。主演のダリダの姿に300万人ものエジプト人が熱狂し成功を祝った。

1987年 | 54歳 | 最後の別れ

1987年5月3日、枕元に「人生に耐えられない。許して。」と遺書を残し、自宅の寝室で睡眠薬を服用し自殺。享年54歳。

DALIDA

PROFILE

スヴェヴァ・アルヴィティ/ダリダ

SVEVA ALVITI

リッカルド・スカマルチョ/ブルーノ

RICCARDO SCAMARCIO

ジャン=ポール・ルーヴ/ルシアン・モリス

JEAN-PAUL ROUVE

ニコラ・デュヴォシェル/リシャール・シャンフレー

NICOLAS DUVAUCHELLE

アレッサンドロ・ボルギ/ルイジ・テンコ

ALESSANDRO BORGHI

ブレンノ・プラシド/ルチオ

BRENNO PLACIDO

ニールス・シュナイダー/ジャン・ソビエスキー

NIELS SCHNEIDER

ヴァンサン・ペレーズ/エディー・バークレイ

VINCENT PEREZ

パトリック・ティムシット/ブルーノ・コキャトリクス

PATRICK TIMSIT

監督・脚本:リサ・アズエロス

監督・脚本:リサ・アズエロス

PROFILE

1965年フランス生まれ。母は『太陽がいっぱい』などに出演した女優マリー・ラフォレ。TVシリーズの脚本家としてキャリアをスタートし、脚本も手掛けたヴァンサン・カッセル出演『Ainsi soient-elles』(95)で監督デビュー。その後、ソフィー・マルソー主演『LOL(ロル) ~愛のファンタジー~』(08)の監督・脚本を務め、モンテカルロ・コメディ映画祭審査員賞を受賞。再びマルソーを主演に迎えた『ソフィー・マルソーの秘められた出会い』(14・未)では、製作、監督、脚本、出演を果たす。また、ジャン=フランソワ・リシェ監督、ヴァンサン・カッセル主演『避暑地で魔が差して』(15・未)の脚本も担当する。

INTERVIEW

なぜダリダの映画を撮ることに?

正直、ダリダのファンではなかったの。だから、ある意味では彼女に映画を撮るよう仕向けられた感じがするわ。彼女の経験は輝かしく、悲劇的でもある。まるで、テレビドラマのあらゆる要素が詰め込まれたよう。彼女の名声はつねに孤独と肩を並べていた。彼女の本当の姿を理解して、彼女の最後の自滅を許して欲しいと思ったの。

ダリダの弟 ブルーノとの共同作業は?

彼のおかげで真実が語れるっていう安心感があった。ブルーノからのリクエストは三つ。①彼が脚本を承認すること。②彼の姉を演じる女優を彼が選ぶこと。③彼を演じる俳優を彼自身が選ぶこと。私は、ダリダがどう感じたかを想像して、感じるままに身を任せて、多くの部分を直感的に書いた。彼の私に対する信頼と信用については、感謝しきれないわ。

本作はダリダの人生の全体を描いていますが?

ダリダの子供時代、とりわけ父親との関係がその後の人生の男性との関係を暗示するものだと思うから。さらに、アーティストとしての人生とプライベートの恋愛は、あらゆる面で興味をそそるものよ。私も彼女のように自分のキャリアについて疑問を持ったことはないけれど、私生活について疑問を持つことはよくある。ダリダを通して、私は自分自身について多くを学んだ。特に、私は子供なしには生きていけないんだっていうことをね。

悲劇的な人生を描くことで映画が暗くなる心配は?

爽快な映画にならないことはわかっていたけど、ダリダのキャラクターには二面性があることもわかっていた。とても不幸な人ではあるけれど、歌っている時は輝くのよ。だからこそ、私は彼女が愛した男性たちと彼女の歌の両方を通して物語を描くことにしたの。そして彼女にはキャリア以外にも、人生で大きな幸福の瞬間があった。例えば、リシャールとの情熱的な情事は、高揚感溢れるエピソードよ。

スヴェヴァが現れるまで、200人の女優に会ったというのは本当ですか?

本当よ。女優探しはフランスで始めたの。でも、みんなRの発音が巻き舌になってむしろ偽物っぽく聞こえた。それでイタリアと中東に向けて網を放ってみた。スヴェヴァのビデオを見た時は、なかなかの感触だった。彼女はオーディションで「灰色の途」を歌ったの。その瞬間、ほとばしる感情に圧倒されたわ。彼女は女優としてほとんど経験がなかったし、フランス語も話せなかったけど、オーディションの終わりに彼女が「私はダリダよ」と言った時、私は「知ってるわ」って答えたの。

色彩的な部分、衣装や装飾品などについては?

あまり実際のものに近くなって欲しくなかったの。その代わりに、できるだけ視覚的に楽しめるものにしたかったわ。衣装デザインのエマニュエル・ユークノフスキーは、私が求めるものを理解してくれて、その時々に付き合っていた男性に合わせてファッションを決めようと提案してくれたの。例えば、ルシアンといる時はエレガントで女性らしく。リシャールといる時はもっとソフトで官能的なスタイルでと。

今、ダリダはどのような存在でしょうか?

彼女は私の人生の中で大きな部分を占めているし、これからもずっとそう。この映画を始めてから、彼女のことを手の届かない存在だとは思わなくなった。彼女の完璧を求める気持ち、真の愛に対する飢えは、完全に理解できる。恋愛関係に押し流されるようではダメだと私に教えてくれた。ダリダのおかげで、私は自分の親友になれたの。もう一度彼女をスポットライトに照らし出すことができて、自分を誇らしく思うし、幸せな気持ちよ。

ブルーノ・ジリオッティ(ダリダの弟) BRUNO GIGLIOTTI

ブルーノ・ジリオッティ | ダリダの弟

PROFILE

エジプト、カイロ生まれのイタリア人。ダリダのマネージャーとして活動する。1970年、インターナショナル・ショーを設立(後のオーランド・プロダクションズ)し、プロデューサーとしてダリダと再スタートを切る。その後は数々のヒット曲を発表、ショービジネス界でも世界的な成功を収める。1987年のダリダの死後も、レコードの再リリースや、衣裳、アーカイヴ素材の全ての管理をしている。2011年1月、レジオン・ドヌール勲章の「シュヴァリエ」を授与された。

INTERVIEW

このプロジェクトに関わってどれくらいになりますか?

5年だよ。最初の共同プロデューサーたちとは上手くいかなかったんだ。脚本は魂や繊細さに欠けていた。だから2012年に一度この企画を諦めた。でも、プロデューサーのジュリアン・マドンはこの5年間、一度も諦めず、何度も何度も僕に電話をかけてきた。それで最後にリサ・アズエロスとジェローム・セドゥに会うことに同意したんだ。彼らのビジョンは僕を納得させた。だからもう一度スタートしたんだ。

あなたはとても慎重な管理人との評判ですね。

ダリダが死んで30年だけど、僕の使命は当時も今も同じだ。それは彼女の記憶をただ残し続けるだけじゃなくて、彼女を未来に連れて行くこと。ダリダの強さは、あらゆる年齢層を惹きつける。その使命のために、僕は死ぬまで全力を尽くすつもりだよ。でも、僕は脚本家でも監督でもないから、一度誰かを信用すると決めたら、どんどん任せて進めてもらうことにしている。

配役については?

最初にスヴェヴァが目の前に現れた時はとても驚いた。彼女にはダリダの優雅さ魅力や繊細さが備わっていたんだ。ダリダのビデオを見せて、仕草や歩き方、所作、彼女の魂について説明した。その後もう一度カメラ・テストを行った。僕はプロデューサーに「彼女がダリダだ。君は正しかったよ!」って言ったんだ。撮影初日には彼女にメッセージを送ったよ。「今日から僕には新しい姉ができた」って。スヴェヴァはこれにとても感激してくれた。僕が長年ファンだったリッカルド・スカマルチョについては、ルイジの役を演じてはどうかと思っていたんだ。でも、彼は脚本を読んだ時、ブルーノ役の方がもっと・・・エキサイティングだと思ったんだよ(笑)。彼はずいぶんエレガントに、正確に、敬意を持って僕を演じたと思うよ。僕のパロディに陥ることなくね。

完成した映画を見たときの感想は?

最初に見たときは、大きな衝撃だった。映画を見た夜は、眠れなかった。何とか感想が言えたのは、2回目に見てからだね。この結果にはとても誇らしく、嬉しく思うよ。彼女は時代の伝説、「永遠」の神話だよ。ファンは、そのリアルさ、複雑さ、美しさにもう一度触れることができて喜ぶだろうね。映画でダリダを初めて知る人たちももちろん感動するはずさ。ダリダには未来がある。僕はこれからもダリダのプロデューサーとして存在し続けるよ。

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ダリダ~あまい囁き~